エベレストは簡単になったか (3)

スポンサーリンク

私がエベレスト登山を決めたときに最初にやったこと、それはエベレストの登頂の難しさをMECEに書き出すことでした。MECEとはコンサル用語?ですべて抜けなく重なりなく、という意味です。つまり、エベレストに登るための必要十分条件を挙げていったということです。必要条件はまさに登るために必要だったため。十分条件は、最年少を成し遂げるためにワンチャンスしかなく、時間がなかったためです。最年少は私自身、まったく意味をなさないものだと思っていましたし、今もそう思っていますが、このときは必要だったのです。その理由は後述。

 

エベレストの難しさは1) 資金面、2) 高度に対する耐性、3) 寒さに対する耐性、4) 長期間の登山期間に対する肉体面での耐性、5) 長期間の登山期間に対する精神面での耐性、6) 登攀的登山技術の6つに分類されました。よく、「登山は総合力、経験がすべて」(登山の部分をほかのものに当てはめても通じるかも)といいますが、それだと間違ってませんが何も言っていないに等しい。総合力とは何かを掘り下げることから始めたのです。

 

そのあとはそれぞれを解いていく方法を考えます。

1) 資金面 に関してはスポンサー探しをすること、そして登山形態でできるだけ贅沢をしないこと、でした。贅沢とは別にBC(ベースキャンプ)での暮らしや食事の問題ではなく、「自分の隊を組まない」というもの。公募登山隊でパーミッションをもらうことで最低限の予算でクリアするというのが私の出した結論でした。そしてスポンサー探し。このために「最年少」が譲れないポイントになります。はっきり言って当時の私の23才という最年少記録は、アスリートとしては最も脂ののっている時期なわけで、アスリート的価値はまったくありません。ただし、それでも「世界最年少」という言葉は大きく、スポンサー集めには必要条件でした。別にスポンサーさんをだました、ということではなくそこもちゃんと話したうえで、スポンサーになっていただいたのですが。

 

2) 高度に対する耐性はエベレストの最も難しい点の一つです。これをクリアするために、JISS(スポーツ科学センター)に掛け合って、低圧低酸素室を使わせていただきました。日本では、私が低圧低酸素室を使って登山を実践した初めての例だと思います。あ、それなら私も千駄ヶ谷で使ってるわ、神田で使ってるわ、という方。それは「低酸素室」です。低酸素室は作るのにそんなに難しくなく、民間でもできます。ただし「低圧低酸素室」は別。低圧にするために完全な密室を作らなければいけないためコストも大変なものになります。

まずはエベレストへの挑戦の半年前にチョーオユー(8201m、世界第6峰)に登り、完全に打ちのめされました。当時のシェルパにも「このままじゃエベレストはムリだ」と言われ、JISSに掛け合って週2回、5000mの高度に上げてトレッドミルを行っていました。エベレスト直前には、低圧低酸素状態で睡眠も取っています。その時のSPO2は40台。普通だったら救急車呼ばなきゃいけないところまで追い込んでトレーニングをしました。外ではそのトレーニングに付き合ってくださった研究者が結構真剣に実験中断を考えていたみたいです。

 

3) 寒さに対する耐性、これは装備と単純なトレーニングで体を作っていきます。装備はエベレスト用の特注ウェアをデサントさんに作っていただきました。大阪の会社らしく、「山田さん、体小さいから生地少なくていいから作ってあげますわぁ」と言われて。特注のウェアは、水分を入れる場所をウェアの中に作ったり、酸素ボンベ用のマスクをつけるスペースを作ったり、いろいろと注文させていただきました。山の上で寒さというのは血行をどう保ちながら衣類と体の間の無駄なスペースを作らないかということになるため、(締め付ければ血行がなくなり寒く、緩すぎれば空間ができて寒い)特注のオーダーウェアというのは重要なのです。

あとは単純なこと。東京の冬でも半袖短パンで通すことでした。とにかく寒くても大丈夫な体をつくること。半袖短パンで変な顔されながら、自転車で走っていました。

 

続きは次のエントリで。