エベレストは簡単になったか (4)

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4) 長期間の登山期間に対する肉体面での耐性。登山期間が短くて標高が低いうちは、ただ筋力をつければよい、持久力をつければよいということになるのですが、長期間になるとそうはいきません。

標高が高いということは、酸素が薄く、酸素の摂取量が減ります。そうすると、体で作り出せるエネルギーというのは食料を酸化して作っていますから、体で作り出せるエネルギー量が減る。これが基礎代謝を下回ると体の余剰エネルギー、つまり最初は脂肪が消費されていくわけです。脂肪が消費しきるとこんどは筋肉が消費されていく。ただし、標高が高いところで動かなければならない登山家にとって、筋肉が基礎代謝のエネルギー消費に削られていくのは、かなりまずい状態なのは言うまでもないでしょう。

この基礎代謝量を決める際に重要になるのが、体の組成です。筋肉が多いと基礎代謝は高くなり、脂肪が多いと低くなる。筋肉がつくとダイエットになる、というのはここからきているわけです。そして、同じ1gあたりに貯蔵されているカロリーは筋肉は1gあたり6kcal、脂肪は1gあたり9kcalです。

つまり、です。2か月の登山期間を乗り切るためにはできるだけ脂肪をつけた方が良いことになります。その方が同じエネルギーを貯蓄するために軽いし、消費エネルギーも少ない。

スポーツは肉体面で大雑把にいうと4象限に分かれます。ものすごく大雑把ですが、筋肉が多い方がよくて、脂肪も多い方が有利な格闘技、相撲や柔道など。これは一般的に体重階級制にして不公平をなくします。筋肉が多い方がよくて脂肪は少ない方がよいもの。陸上などはこれに入るでしょう。筋肉も脂肪も少ない方がよいもの、筋肉が少ない方がよいというと語弊があるかもしれませんが、重力に反するために筋肉をつけすぎない方がよいという意味で、騎手や新体操、そしてクライミングなどが入ります。そして、筋肉はできるだけ少ない方がよくて脂肪が多い方がよいもの、これが、長期の高所登山です。これと同じ系統の種目をほかに聞いたことがない。高所登山の場合の体のつくり方は、「2か月間耐えるためにどれだけの脂肪が必要か」を考えた後、「それを8848mまで担ぎ上げるために必要な筋肉はどれだけ必要か」を考えます。

このために私がやったことは2点ありました。1点目は、体重を増やすこと。体重を増やすと筋肉ばかり増えるのではないかという心配は不必要でした。多くの方がご存じのとおり、食べた余剰エネルギーは吸収されている限り、脂肪となって蓄えられます。とにかく食べました。吉野家で3杯、とか。もちろん価格あたりのカロリーを計算して、大盛りより特盛より利回り?がよい並を食べていました。

そして2点目は、「できるだけ筋量を増やさずに筋力を上げる」ことでした。このためには、持久力系のトレーニングを増やしたうえで、飲むプロテインの種類をホエイからソイ、つまり動物性たんぱくから植物性たんぱくに変えました。ソイプロテインは、レシチンを多く含むため、筋量を増やしにくい効果があるのでは、とにらんだためです。

5) 長期間の登山期間に対する精神面での耐性。実はこれが一番事前に準備しにくく、そして登頂できない理由として一番多いものです。エベレストで登れなかった人たちは、頂上を目の前にして帰っていくのですか?という質問を受けますが、そうではありません。登頂できない人のほとんどは、最終キャンプ、8300mまでもたどり着かずに帰ります。ベースキャンプで夜中急に泣き出したり、情緒不安定になって戻っていくことになる人も結構います。

精神的にだめになる理由は2つ。1つは同じことの反復による精神的ダメージです。エベレストの登山期間2か月間は何をしているかというと、ベースキャンプから上のキャンプへの往復をひたすら繰り返します。それが、高所順応にもよく、そして荷揚げのために必要だからです。もちろん、山好きが集まっていて、ヒマラヤの絶景が見られるので、2-3回同じところを往復しているうちはいいのですが、10数回となると話は別です。みんな精神的にいやになって疲弊していく姿が手に取るようにわかりました。

これは私は個人的にはダメージがほとんどありませんでした。理由は、おそらく小学生時代から慣れていた(?)受験勉強がほぼ反復練習だったこと。修行だと思って何も考えずに反復練習するのは苦ではなかった。そして、富士山で毎日毎日ガイドをしていたこと。こちらも繰り返しに慣れるのによかったと思います。

もう1つの精神的なダメージは「登らなくてはならない」というプレッシャー。特に多くの登山者がスポンサーを抱えていたり、スポンサー付きでなくても大枚をはたいてきているため、このプレッシャーによるダメージは相当なものがあります。私も、いいスポンサーさんに囲まれて、「登れなかったらまた行けばいい」と言ってくださっていましたが、それでもものすごいプレシャーでした。事前にイメージトレーニングしたり知識を蓄えたりして耐えようとしましたが、、、これはどうにもなりません。当たり前なのです。プロのスポーツ選手が本番に挑んでいる瞬間にプレッシャーがない程度のことをやっているなら、それ自体問題なのですから。

6) 登攀的登山技術。要するにクライミング技術です。これはインドアジムに通いました。そして、バランス感覚を養うために乗馬をやってみたりしました。まあ、登攀技術自体はエベレストだけでなくこれまでの山々でも必要だったので、最低限はあったので、引き続き頑張った、という程度でした。

この6つの課題を設定し、それぞれを解いていったわけです。

結果。

はっきり言って、エベレストの登山は「余裕」でした。特に最終日は、周りの登山者が止まって見えました。大げさではなく、周りが止まっていて自分が動いているので、登頂した時には誰もいなくてシェルパと2人。次の登山者が登頂したのが私が登頂した3時間後。最終キャンプ出発はほぼ同じなのに、です。

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これがエベレスト登頂の時の写真、世界最高地点ですが、よくエベレスト登頂写真を見ている人ならばすぐにわかる驚くべき点が1点。それは、「周りに登山者がいない」ことなのです。

今や多い日には50人ほどの登山者が行列をなすエベレスト登山。頂上で一人で写真を撮るというのはその日の最初の登山者にだけ与えられる特権なわけです。

エベレストは簡単になったかというお題目から書き始めた一連のエントリですが、答えは簡単。「50年前よりはずっと簡単になったが、いまだにエベレストは高くそびえているし、そんなに簡単なものではない」です。こういう風にエベレストの登頂の課題を思考できるというのはこれまでの経験があるからです。そういうものの積み重ねは確実にエベレストの登頂を簡単にしました。ただし、相当の努力と時間をつぎ込まなければいけないことも事実。そして、それだけのものをつぎ込めば1部の登山家だけのものではなく一般の方にでも登れるようになった、というのが実際のエベレスト登山の現状だと思います。

もう一つエベレスト登頂後に強く思っていること。それは、7大陸の6つの山々は自分の努力だけで登ることができる。エベレストだけは人事を尽くして天命を待つのみ、つまり登れるかどうかは山の神様が決めてくれることだと思っています。そして、山の神様は、努力をきちんとした人にはちゃんと答えてくれる。自分が登れたからそう思うだけでなく、7大陸の山々で、やはりしっかり準備できてなかったとき、傲慢だったときは山の神様から叱られ(凍傷になったり、滑落したり)、しっかり謙虚に努力したときは答えてくれていたという実感があるからです。そして、エベレストではそのキャスティングボードを完全に山が握っている。8000m峰に比べたら小さな存在でしかない人間は、真摯に謙虚に取り組んだうえで、あとの結果は身をゆだねるしかない、そう強く感じられる場所、それがエベレストなのです。

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山日記
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経営と登山のあいだ
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