2月14日。ベースキャンプに向けて朝7時40分に出発しました。
コンフルエンシアからはおよそ8時間強の道のり。但し、高山症状の出始める高さなのでムリは禁物です。
そう、ムリは禁物。。。
10年前私が登った時、1人の日本人と一緒でした。サンチアゴの空港で出会い、少し話し、分かれたのですが、登山口で再び出会い、一緒に登ってきました。
彼は30代で、ネパールのトレッキングなどの経験もあり、登山中、いろいろと教えてもらって楽しく登っていました。
ベースキャンプの1時間ほど手前のところで、もう疲れたからここでテントを張ります、というので、私は先にベースキャンプに上がって翌日、順応日で退屈だったのでベースキャンプからぶらぶらと迎えに行きました。
ベースキャンプに着くと、彼は、テントをはり、疲れたので寝ます、とテントの中に入って行きました。私は翌日から登山開始。数日後、登頂して下山してきました。
ベースキャンプに戻ってきてみても彼の姿はなく、テントの中にいるのか、登っているのかだろうと思っていました。すると、近くにいた人が、「あのテントの人はオマエのトモダチか?最近見ないんだけど、上に上がっているのかな?」と声をかけてきました。
おかしいな、と思い、彼のテントに近づき、フライシートを上げた瞬間、今までに臭ったことのない刺激臭が鼻を突きました。一瞬にして、何が起こったか、経験がなくても理解できました。
テントを開けると、やはり彼は寝袋の中で亡くなっていました。高所の乾燥と風の強いベースキャンプのせいで、誰にも気づかれず、テントの中に数日間いたのです。あとで聞いた話では、ベースキャンプに着いた日の夜だろう、ということでした。
そんな苦い経験があったので、ちょっと今回はナーバスになっていた部分があります。
コンフルエンシアでもう数泊するか、一旦メンドーサまで戻るか、と考えました。実際にそれぐらい体調は悪いものでした。
でも、結局上がることにしました。荷物がベースキャンプに上がってしまっているので、それ以外の選択肢をとるのが難しかったのです。
▲延々と続くベースキャンプまでの道のり
▲時々ミューラが抜いていく
ベースキャンプまで結局13時間かかりました。最後は止まりそうになる足を何とか動かしてもらうために、頑張れ頑張れと声をかけ続け、なんとかベースキャンプまで辿り着きました。
その夜。すぐに寝たいというKyokoさんに何とか温かいスープを飲んでもらい、水分を十分に摂ってもらいました。点とも2張持っていたのですが、同じテントで寝ることにしました。もう不安で不安で仕方がなかったのです。結局1睡もできず、1晩中1時間おきに息をしているか確認していました。
翌日。Kyokoさんはけろっと治っていました。あー、良かった。それにしても大変なベースキャンプまでの道のりでした。