富岡製糸場の世界遺産登録、おめでとうございます。
富士山が世界遺産になって、ちょうど1年が経ちました。
そして、屋久島が世界遺産になって20年をこえました。
いろいろ各論で思うところはあるのですが、総論で言うと、世界遺産の価値が、日本の中の、特に行政や政治に絡む部分で低く評価されているのではないかと思っていて、簡単に言うと、各都道府県が主導で「世界遺産」を統括するのは無理なんじゃないかと思っています。
昨年6/22当日は、夜の生放送の出演のためにNHKにいたのですが、中継を見ていて、一番感じたのが、「県知事が主導している違和感」でした。
世界遺産に選ばれるために、県知事がロビー活動をして、特に三保の松原が含まれるように、静岡県知事が動き回り、選ばれた瞬間は彼らが喜んでいる。そして、安倍首相から「おめでとうございます」というメッセージが届く。ん?安倍首相はおめでとうございますって言う立場なの?言われる立場じゃないの?観光庁長官はどこにいるの?大臣は?世界遺産で県知事?それってレイヤーあってるの?みたいな。
県知事、県政も協力してやればいいと思いますが、世界遺産って国レベルの話のはず。特に、訪日1000万人とか、3000万人とか、オリンピック以降の日本の観光立国などという話をする上では、ほぼその根幹になる話。なのに、観光庁も、環境省も、経済産業省も出てこずに、推薦の時だけ文化庁が出てきて、あとは地方自治体任せな感じがするのはとても違和感があります。
もちろん、世界遺産になったからと言って、いきなり観光資源として、経済原理だけで回っていいわけもありません。持続可能な形を作るには、仕組みが何より大事。攻める部署、省庁と、守る部署、省庁が拮抗してモノごとを決めていく形になるのがいいと思うのですが、地方自治体同士では攻める、守るということよりも、地方自治体同士の拮抗の方が大きくなりすぎて、特に、山梨県と静岡県が折り合うなんてことはないと思います。だって、囚人のジレンマ状態でしょ。この状態では部分最適の和が全体最適になる訳もなく、看守たる国がジレンマを解かなければ進みません。
山梨県、静岡県みたいな分かりやすい囚人のジレンマに陥らなくても、やはり地方自治体の首長は直接選挙で選ばれているわけで、国の将来の方向性と足元の県民の生活とが天秤にかかることはないでしょう。例えば屋久島島民の生活はもちろん重要ですが、その上で国として成立させなきゃ行けないものもあるはずです。そして、その利害を調整するのが行政の役割なんじゃないでしょうか。
現状の国の体制は、攻める側は、観光「庁」です。守る側は、環境「省」+林野「庁」。もう力関係的に拮抗させるつもりがないことが明らかで、観光立国にはなり得ない体制になっているように見えます。
ここは一つ、観光庁を、観光省に格上げして、国交省から離れて、むしろ経産省と仲良くして、世界遺産「庁」を作るとかでどうでしょうか?そして、環境省と議論を重ねてどこを変えるか、どこを変えるべきではないか、ということを決めていく。県など地方自治体は、もちろんその議論には加わる、というあたりが落としどころではないでしょうか。
各論で、保全協力金がどうとか、頂上がどちらの県だとか、外国人対応どうするかとか、トイレ問題とかあると思います。それぞれ議論を重ねて解決することは大事だと思います。ただ、近視眼的に保全金を何に使うか、とかという話じゃなく、もっと長い目で見たときには、誰が大枠のデザインを描くか、ということをはっきりさせる仕組みが一番大事。そして、そのあるべき形での主導者は地方自治体の首長ではないんだと思います。